週末、青空がのぞいたことに
居ても立っても居られず
部屋着にすっぴんのまま、ドライブへ。
沿道を
山並みを
ぽっと色づかせている桜を眺めながら
ある逸話を思い出す。
「あっ、私、
桜を愛でるたびに思い出してる🌸」
中学の教科書で読んだ大岡信さんの
「言葉の力」という逸話。
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思い出したこともうっすらしてきた昨日、
母から手紙が届いた。
その中に、
大岡信さんの「言葉の力」全文のコピーが
同封されていた。
何ということ…
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なんとも美しい桜色に染まった糸で織られた着物。
素人の気安さで、その色は
桜の花びらを煮詰めたものだと思った。
実際は皮から取り出した色だった。
桜の花が咲く直前のころ、
山の桜の皮をもらってきて染めると
こんな、上気したような、
えもいわれぬ色が取り出せる、と。
その話を聞いて、体が一瞬ゆらぐような
不思議な感じにおそわれた。
春先、
もう間もなく花となって咲き出でようとしている桜の木が
花びらだけでなく、木全体で
懸命になって最上のピンク色になろうとしている姿が、
私の脳裏にゆらめいたから。
桜は全身で春のピンクに色づいていて、
花びらはいわばそれらのピンクが、
ほんの尖端だけ姿を出したものにすぎな買った。
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このエピソードが私の中に、深く強く刻まれていた。
今回、それはそれは久しぶりに
全文を読み返してみてハッと目にとまる箇所があった。
このお話は
単に桜の性質について語られていることでは
まったくなかったんだ…
私という存在の”在り方”について
すっと背筋が伸びるような感覚を覚えた。
新しい始まりに
この文章と再会出来て
ほんとうに良かった。
母からの贈り物に感謝。
皆さまもそれぞれに
素晴らしい始まりを。
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『人はよく美しい言葉、正しい言葉について語る。
しかし、私たちが用いる言葉のどれをとってみても、
単独にそれだけで美しいと決まっている言葉、
正しいと決まっている言葉はない。
ある人があるとき発した言葉がどんなに美しかったとしても、
別の人がそれを用いたとき同じように美しいとはかぎらない。
それは、言葉というものの本質が、口先だけのもの、
語彙だけのものではなくて、それを発している人間全体の世界を
いやおうなしに背負ってしまうところにあるからである。
人間全体が、ささやかな言葉の一つ一つに反映してしまうからである。』
ーーー大岡信「言葉の力」
